細胞の代謝は生物学における基本的な過程であり、細胞の成長、増殖、分化に重要な役割を担っている。
グルコースの消費を継続的にモニタリングする新しい技術によって、細胞の状態や運命について、多くのことが分かるようになるだろう。
こうした情報は、さまざまな研究活動にとって重要だ。
「例えば、グルコース代謝は、がんなどの病気の進行に影響しています」と、PHCホールディングス株式会社の子会社であるPHC Corporation of NorthAmericaの細胞・遺伝子治療の専門家であるKenan Mossは言う。「がんの重要な特徴は、代謝が制御されることなく増大していることです」。幹細胞では、代謝活性の度合いによって、細胞がいつ分化しようとしているか、もしくはさらに多くのことが分かるようになるかもしれない。「研究が進めば、代謝活性がどのように分化につながるのか、分化がいつ起こるのか、その結果どのような細胞が生じるのか、より理解できるようになるでしょう」とMossは言う。
培養細胞の代謝活性をよく理解することは、
細胞生物学の基本的な理解が深まるため、CAR-T細胞療法などのがん免疫療法から、幹細胞を用いた再生医療に至るまで、あらゆる研究にとって重要である。細胞治療製品の製造業者にとっても、グルコース取り込みと乳酸産生に関する高品質のデータは、代謝活性を最適化するのに役立ち、より効率よく、より収量が高く、より良い特性を持った製品の生産につながる。
LiCellMoは、培地中のグルコースと乳酸をサンプリングすることなく連続的に測定し、その結果はタッチパネルコントローラーに表示される。
スナップショット以上のもの
しかし、Mossによると、現在のグルコース代謝の研究方法にはまだ多くの課題があるという。代謝が時間とともにどのように変化するかについてのデータを得るために、研究者は特定の時間に定期的に培地を採取しなければならないが、これにはいくつか問題があるのだ。
まず、労働時間の負荷が大きいことである。研究員は、適切なタイミングで試料を採取するために、勤務時間外や週末に研究室に来なければならない。また、必要な試料を採取するためには細胞を培養装置から繰り返し取り出す必要があるため、コンタミネーションのリスクがある。さらに、細胞を最適な培養環境から取り出し、培養装置に戻すという作業を繰り返すことになるため、細胞に負荷を与える可能性がある。研究者は、必要なデータの量と、それを収集するために必要な労働、細胞の負荷およびコンタミネーションのリスクのバランスを取る必要がある。
最も重要なのは、細胞の試料をどれだけ頻繁に採取しても、大部分のデータは得られていないということである。個々の試料は、ある時点までに消費されたグルコースの量を示していて、次の時点に採取した試料のデータと比較することができるが、これら2つの時点の間に何が起こっていたかについての情報はないのである。「スナップショット以上のものを得ることはできません」とMossは言う。
そうではなく、培養細胞の代謝活性を連続的にモニタリングし、時間の経過とともにどのように変化するかを詳細に把握する方法は極めて有用だ。PHCの研究者たちはまさにそれに取り組んでいる。「生きた細胞の代謝状態をリアルタイムで可視化できる新しい技術を開発しています」と、PHC Corporation of North Americaの細胞・遺伝子治療事業部長の高橋亮介は言う。
代謝をリアルタイムでモニタリングできるようになれば、コンタミネーションのリスクや労働時間の問題を即座に排除することができると、Mossは話す。そして何より、最大の利点は、連続的なモニタリングによって得られる科学的発見だ。代謝活性の経時的な変化だけでなく、変化速度についても、定量的・定性的なデータが得られるとMossは言い、彼はこれを速度と加速度の違いになぞらえる。「エンドポイントの試料だけを取っている場合は、速度が得られます。継続的なモニタリングにより、速度と加速度の両方を得ることができるのです。直線的な情報ではなく、生きた細胞の活動状態の変化が分かります。グルコース消費速度が時間とともにどう変化するかを見ることができるのです」とMossは言う。
これによって、細胞の活動や全体的な状態をより正確に把握できるようになり、細胞がグルコースの消費量をどのタイミングでどの程度増やしているかを示すことで、その増殖の質が分かるようになる。「例えば、定期的なサンプリングを行った場合、細胞数の増加により、細胞培養に取り込まれるグルコース総量が数日にわたって継続的に増加していることが分かるでしょう」とMossは言う。しかし、連続的なモニタリングをした場合にはすぐに明らかになることも、個々のポイントの定期的な確認では見つけることができないかもしれない。つまり、時間経過とともにグルコースの消費速度が実際には低下しており、この場合は、個々の細胞のグルコース消費量が少なくなっていることを示している。これは、培養環境が悪化し、細胞の活性が低下していることを示している可能性がある。「最初と最後の時点のグルコース量の比較や細胞数からは、その細胞がいつ最適な状態にあるかは分かりません。しかし、経時的な変化を見るとそれが分かるのです」。
解糖系に関するより良い詳細なデータは、解糖系に密接に関連しているミトコンドリアのように複雑な細胞プロセスの理解や、疾患細胞やがん細胞の増殖に関する知見を深めるのに役立つだろう。また、免疫療法の研究において、阻害薬の活性や、環境因子の変化がどのような影響を及ぼすかが解明されるようになるかもしれない。「これらは全て、細胞の活動状態をよりよく理解することにつながります。これを、最適な方法で可視化することができれば、初期代謝から連鎖していく多くの異なる過程を深く理解できるでしょう」とMossは言う。
PHCの進展
高橋によると、PHCの研究チームは、細胞培養という過酷な環境で長時間作動する電気化学式センサーと、そのデータを解釈して安定した再現性のある方法で提供するソフトウエアアルゴリズムを両方開発するという困難な技術的課題に取り組んでいるという。「それが私たちにとって最大の課題です。研究チームは実用的なセンサーを完成させるための最終段階に入っています。この種のシステムによって代謝研究の全く新しい世界が切り開かれ、人々の健康に非常に良い効果をもたらすと期待しています」。
市販の一般的な細胞培養プレートに取り付けたLiCellMoセンサーモジュールを、CO2インキュベーター内のディテクターに配置する。
研究者がタッチパネルコントローラーでリアルタイムの測定値を確認する。
Stem Cell Networkが主催するカナダ・バンクーバーで開催された会議で、開発中の新技術であるライブセル代謝分析装置LiCellMoについて議論するPHCbiチーム。