Roshini Beenukumar, PhD
血液、細胞、生体組織、そして臓器のような生体試料を保存しバンキングすることは、科学的・医学的な研究分野で大変重要になっています。現在の保存技術は十分ではなく、特に臓器を数時間以上保存することは難しいと言えます。本記事では超冷却技術を用いた生体試料の冷凍保存における最近の二つのトピックスについて、一つ目は赤血球について現在の保存時間を倍増させる方法、二つ目はヒト肝臓を体外で最低限27時間保存する方法をご紹介します。
生体試料の冷凍保存における現在の課題
バイオ試料の保存については短期間から長期間まで広く分類されます。短期間の保存では氷点から1‐2℃高く設定され、長期保存では相当低い氷点下の温度を使用し、通常凍結防止剤を併用します。冷凍保存法には様々な課題が残されており、例えば、制御できない氷の生成は最も大きな問題であり、凍結―解凍サイクルによって生体組織の活性維持が制限される事になります。
バイオ試料の長期保存を目的とする超冷却
自然界には、哺乳類も含め、氷点下の体温で数週間からそれ以上生き延びる種も存在し、そのメカニズムのコアは、氷の生成を誘発しない超冷却にあります。超冷却とは液体をその氷点温度以下まで固体化しないように冷却するプロセスであると定義されます。通常の環境下では、液体はその氷点温度以下まで冷却されれば結晶核や生成核の存在下で結晶化しますが、そのような生成核が無い状態では、一様に核生成が生じる温度になるまで液相を保ちます。
超冷却法は細胞、生体組織、そして特に臓器の長期にわたる保存に最有力な方法と言えます。しかし、バイオ試料保存において活性の維持を実現するには越えねばならないいくつかのハードルがあります。重要となるハードルというのは、10℃以下、1mL以上の容量、1週間以上の保存の3条件を同時に満たす事がそれほど容易ではないという事です。
”超深冷却” 水や水溶液に適用できる超冷却法
超冷却への新たな取り組みとして研究者等が「超深冷却」と新たに命名した方法がNature Communications誌に発表されました。これによれば、水や水溶液を液体のままで氷点下温度まで冷却し長期間保存できるという事です。この技術は細胞、生体組織、そして臓器でさえも、安全に長期間保存できる可能性を有しています。
通常の環境下では水や水溶液は零度以下で氷結し(例えば0℃以下)、これは液体が空気や溶存不純物などとの接触によって氷の結晶の生成が進むためであると考えられています。超深冷却法は現在用いられている高圧環境による超冷却法に代わる技術であり、高価な高圧機器や高圧による生体組織の損傷を抑えることが可能であると期待されているのです。
超深冷却法は、マサチューセッツ大学General Hospital Center for Engineering in MedicineのO. Berk Usta博士の研究チームが開発した技術で、保存媒質から溶解相の空気介在を除去する方法を主としています。例えば1mL容量の少量の水では、その表面を炭化水素ベースのミネラルオイル、オリーブオイル、パラフィンオイルのような油脂でシールして、最大限マイナス13℃まで冷却しても1週間氷の結晶を生じない実証が行われました。さらに進んだ研究では、アルコールやアルカン類のような単鎖炭化水素をベースにした油脂混合物が検討され、1mL容量の水や細胞懸濁液をマイナス20℃で100日間、100mL容量の場合でも1週間保存することも可能という結果が報告されています。
「我々が毎日のように取り扱うこの容量範囲における水や水溶液は、0℃以下にすると氷結します。我々のアプローチは、その方法を“超深冷却”と命名していますが、単に液体表面に相溶性のないミネラルオイルのような液体でカバーし、結晶化の主因である水と空気との接触を回避させるだけのことです。この驚くべき簡単で安価な方法は多くのメディカル分野や食品分野の保存方法として実効性があり、他の方法では成しえなかったものなのです」と責任著者のUsta博士は語っています。
超深冷却による赤血球保存期間の増大
超深冷却法によって赤血球の保存期間は倍増します。通常は4℃条件で42日間までですが、14日を越えるとその品質は目に見えて悪化します。28日を越えれば不可逆的な細胞障害を起こしてしまいます。
Usta博士の研究チームはマイナス13℃で100mLの赤血球懸濁液を品質の低下無しに100日間保存することに成功しました。臨床分野において300mLから500mL容量の範囲で同様の結果が得られるようになれば、世界中の血液バンクの様相は大きく変わっていくであろうと思われます。
超深冷却によるヒト肝臓の保存
同研究所の他の研究グループは超冷却法によって体外でヒト肝臓を少なくとも27時間保存することに成功しています。
ヒト肝臓は臓器の中でも最も大きいためその保存は難しいのですが、研究グループは「三本の矢作戦」で肝臓の冷凍保存に成功しています。
- 一本目の矢は、氷の結晶化が生じる主たる個所は液体と空気とが接触する部分であり、これを防ぐことによって一様に広がる氷の核生成を防止することです。そのために、保存用バッグ内の液体を十分に脱気する方法を採用しました。
- 2種類の糖、トレハロースとグリセロールを含有する保存液カクテルを血液と入れ替え、氷点下温度まで冷却しても肝臓が氷結しないようにしたのが二本目の矢です。
- 低体温かん流装置(HMP)を用いて肝臓血管内に緩やかに保存液を循環させました。これによって生体組織に保存液が一様に浸透し次第に温度を下げていくこととなるのが三本目の矢です。
超冷却後の肝臓の活性を調べるために、臓器移植を模倣して体温条件で血液を循環させたところ、肝臓細胞は見事に生存しており機能を維持していました。
今後の方向性
これらの新たな知見によって超冷却法はバイオ試料の長期冷凍保存に大変有用な方法であると考えられます。研究グループは細胞、生体組織、そして臓器類の機能維持期間を更に伸ばそうと研究を続け、その目標は数か月から1年間もの期間になっています。
参考文献
1. Novel approach keeps liquids from freezing at very low temperatures for extended periods. EurekAlert! https://www.eurekalert.org/pub_releases/2018-08/mgh-nak080718.php.
2. Novel approach keeps liquids from freezing at very low temperatures for extended periods: Technique could extend preservation times for blood cells, tissues and organs. ScienceDaily https://www.sciencedaily.com/releases/2018/08/180810075905.htm.
3. Huang, H., Yarmush, M. L. & Usta, O. B. Long-term deep-supercooling of large-volume water and red cell suspensions via surface sealing with immiscible liquids. Nat. Commun. 9, 1–10 (2018).
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